高杉晋作の29年/一坂太郎著・長州ファイブ(上)/ユキムラ著より引用。
文久3年2月13日。
高杉と俊輔は上野にお花見に行ったそうです。
西暦に直すと1863年3月31日。
今日は2013年3月31日。
ぴったり150年後!?しかも日曜日ときたら行くっきゃない!
当時の上野で花見っつったら寛永寺かな?
ここんとこ忙しかったのでぜんぜん詳しく調べてなくて
雰囲気だけ味わって来た感じです。
お天気が生憎の曇りで、写真はイマイチ。
当時もこんなに寒かったのかなぁ。
高杉が風邪ひかなかったか心配。
寛永寺 開山堂
行ったときはてっきりここが彰義隊が立てこもった根本中堂(再建)なのかと思ってたけど
寛永寺の開山堂っていう御堂らしいです。
なので厳密に言うと寛永寺に行きそびれた事になりますw
開山堂には一重桜と八重桜が咲く桜がありました。
なんか不思議な空気でした。
寛永寺は慶応4年の上野戦争で焼失しています。
今は表門だけ当時のものが残ってて開山堂の脇に移築されてます。
元々は東京国立博物館のあたりにあったそうです。
官軍が攻撃した弾痕が残ってます。
上野の桜
高杉と俊輔がどの辺でお花見したのかはわからないけど
とりあえず現在のお花見スポットを散策してきました。
葉桜になりはじめてて、とってもきれいでした。
近くの博物館にでっかいSLが飾ってあってちょっとニヤリ。
野口英世の銅像なんかもありました。
当時の高杉と俊輔は12月に英国公使館焼討ち事件を起こして
殺人も経験して
いよいよ歴史の渦に呑まれて行く時期。
松門は正月に松陰先生の改葬っていう悲願を果たして全国に散って
なのに高杉だけは何故か3月まで江戸でグズグズしてて。
上野の桜を見て何を思ったのかなぁ。
なんで上野だったんだろう。
御殿山には行く気がしなかったから?
それともそんなに深刻な感じもなくて
単にお花見スポット巡ってただけ?
色々考えながら歩いてました。
安定の工事中率
参道の屋台を抜けると上野東照宮がありました。
近づくに連れてなんかおかしい事に気づきます。
これ……ホロに印刷してある写真じゃないか……。
工事中でした……。
史跡に行くと結構な確率で工事中だったりします。
ついてないんでしょうか……。
上野公園といえばせごどん
彰義隊のお墓に手を合わせて
一人しんみりしていたのですが
振り返ると何故か西郷さんのそばにキン肉マンがいました。
シュールすぎるだろ。
この後、旧岩崎邸庭園と昌平坂学問所にも行きました。
長くなるのでこのへんで。
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AUTHOR 阿部マコト
1982年12月10日生まれ。東京都出身。イラスト・グッズ・ホームページ制作の技術者です。長州藩の三人党と新撰組の原田が好き。歴ヲタ女子が普段使いできるバレない幕末グッズのお店「小間物屋歴創」を運営。かわいい甲斐犬の相棒・カイちゃまと暮らしています。
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