以前調べた内容が微妙だったので記事を再編集しました。
久坂の家紋はかなりとっちらかってます。
史料によって記載がバラバラなのが原因のようです。
私は御子孫が書かれた「久坂家略伝」しか見れていないので
「久坂家略伝」の記述をまとめたいとおもいます。
「久坂家略伝」は萩図書館で見られます。
「久坂玄瑞全集」にも家紋についての記述があるそうです。
今度、図書館に行ったらみてみます。
「久坂家略伝」によると
- 男子:折敷に三の字【おりしきにさんのじ】(隅切り角に三の字)
- 女子:丸に裏葉抱き柏【まるにうらはだきかしわ】
久坂家の家紋は男女別々で「丸に裏葉抱き柏」は女性の正装時の紋です。
「久坂家略伝」の「丸に裏葉抱き柏」の図は手書きなので
微妙に細部がよくわからないんですが
「細抱き柏」の下がクロスしてない感じです。
上の画像は図を参考に描いたんですがちょっと違うかなぁ。
「折敷に三の字」は一般的に2種類図柄があって
三の字が「長さの違う長方形3つ」のタイプと「文字っぽい三」のタイプがあります。
「久坂家略伝」の図は隅切り角の中に明朝体で「三」と描いてあったので「文字っぽい三」だと思います。
なので上の画像であってるかと。
- 参考
- 久坂家略伝」P1
昭和43年11月15日初版発行
編集・発行:久坂恵一
萩にある久坂のお墓は?
お墓の写真は撮影するとなんか写りそうで怖いから撮ってません。
久坂のお墓の家紋は「丸に裏葉抱き柏」の丸を取った感じでした。
下がクロスしてたんで「細抱き柏」なのかな?
なんで女子用のっぽいんだろう。
「久坂玄瑞全集」によると
久坂家の家紋|久坂玄瑞 覚書 Genzui note
こちらのブログを拝見したところ、「久坂玄瑞全集」だと
- 丸に違い柏
- 桜花(出典不明・どの桜花紋か不明)
となっているそうです。
一坂先生の「久坂玄瑞遺墨」は「丸に違い柏」が載っていました。
世田谷松陰神社の幕末維新祭りで恒例の野外寸劇の久坂の衣装も「丸に違い柏」です。
「丸に違い柏」はeps素材の手持ちがないので割愛。
Google画像検索の「丸に違い柏」でご確認下さい。
余談
「久坂家略伝」にも「丸に違い柏」に関する記述があるそうですが
許可が下りるギリギリの範囲を全部コピーしてきたんですが
「丸に違い柏」に関する記述がみあたらない(;_;)
コピー漏れしたページかもしれないので、次に萩にいったらみてきます。
もしくは「久坂家略伝」って二種類ある?
表紙のコピーは取らなかったから確認できないんだけど
萩図書館の「久坂家略伝」は「改訂版」ってかいてあったような、なかったような……。
他の本だったかな?
結論
- 折敷に三の字(久坂家略伝)
- 細抱き柏(萩のお墓)
- 丸に違い柏(久坂玄瑞全集)
- 桜花(久坂玄瑞全集)
から好きなの選べば良いんじゃない?
というなんの解決にもならない結論となりました。
どれも間違っている訳じゃなくて
それぞれに根拠となる出典があり
真相はタイムマシンがないので分かりません。
って事で。
私見
私は家紋が複数ある人は基本的にお墓ベースと決めたので「細抱き柏」にしてます。
ただ、今の久坂のお墓は明治中期に改装されたものなので
墓石も新しくしてたとしたら微妙です。
無難なのは「折敷に三の字」か「丸に違い柏」なのかな。
出典不明瞭らしいけど「桜花」もありですよね。
高杉は家紋じゃないけど梅のイメージ定着してるし
聞多は桜菱
俊輔は上がり藤
桂さんは木戸姓で水戸菊菱
久坂を桜花にすると全員が花モチーフでキレイだし
いっそ「この作品はフィクションです。史実ではありません」の意思表示ってことで
漫画とかゲームなら全然ありだと思います。
あとは久坂玄瑞先生追憶碑竣成記念絵はがきの包み紙は
なぜかカタバミの紋が入ってます。
とっちらかりすぎてもうわけがわからないよ。
「久坂の家紋ってどれなの!?」へのコメント