島原大門の次に角屋さんに向ったのですが、張り切りすぎてまだあいてませんでした……。
10:00からでした。
ので。西本願寺に向います。
新撰組関係の史跡めぐりで時間を有効に使いたい人は、京都駅から油小路→本願寺→島原の北上ルートをお勧めします。
西本願寺は5:30には開門してます。
成人女子なら充分歩ける距離です。
そのうち京都史跡の開館・閉館時間一覧とか作りたいですね。
史跡巡りは時間との勝負なので。
島原からだと大宮通を渡って西本願寺にいくのですが、入り口は反対側になります。
大宮通側からは入れません。
知らなかったのでしばらく龍谷大学のあたりを彷徨いました。
大宮通りから北小路通を進むとすぐの台所門は一般の人も使えるっぽいんですが、どうみても本願寺併設の幼稚園用の門なのでスルー。
堀川通に出て正門の御影堂門から境内に入りました。
堀川通って国道一号線なんですね。
ちょっと感動しました。
西本願寺はでかい
境内に入ると阿呆みたいな感想しか出ません。
でかい!無茶苦茶にでかい!広い!
短距離走が好きなので全力疾走したくなる開放感でした。
広すぎてどうしたら良いのか分からず、阿弥陀堂に入りました。
中ではお坊さんが読経していました。
お経を聞いたり拝んだりできるスペースがあるので、しばらく正座して聞いていました。
五分くらいで足が悲鳴を上げたので退出。
少し渡り廊下をウロウロした所で10時になったので西本願寺を後にしました。
幕末だと新撰組関係の史跡にカテゴライズされがちですが、そもそも長州との関係が深かったから新撰組の屯所になったんですよね。
京都入りの際に五稜郭を落とした男を読んでいたのでより感慨深かったです。
門を出る前に「長州がお世話になりました」の意味もこめて振り返って一礼。
なんというか、大きさと場の空気に圧倒されるというか、気圧されてものの15分位しか居なかったと思います。
なんだろう……神聖っていうのとはちょっと違う、もっと強烈な何かにはじき出された感じがしました。
ここを借りようと思った土方さんはすごい……。
太鼓楼を曲がって島原に戻る
北東の角にある太鼓楼を曲がって大宮通に戻ります。
幕末当時、時報の鐘をならしていた場所です。
太鼓楼には新撰組がつけた刀傷が残ってるそうです。
風光るの背景で見た事があったので、実物を前にして背景作画の忠実さを実感しました。
漫画の背景を描くの大好きで、昔から渡辺先生とるろ剣の和月先生の背景が目標です。
島田さんの家のあたりを通ってみた
帰りは島田さんの旧宅とおぼしき場所を通過して行きました。
正面通大宮西入ル下ル大宮三丁目の路地。
明治維新後に住んだ場所だとか。
方向音痴なのと直前にネットでみかけた情報なので詳しく調べていかなかったのでホントにここであってんのかな?
町中に無数の「御神酒」の張り紙
この辺をうろついてたら家々の玄関先にやたら「御神酒」と書かれた張り紙がしてありました。
白いA4のコピー用紙みたいなのに朱色でデカデカと「御神酒」。
聞多好きとしては無駄にそわそわしました。
西本願寺の地図
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